日本について

おかしな問い(もしかしたら、どこかでとっくに答えの出ている問いかも知れないが)を思いついた。

「日本について日本語で語ることは出来るのだろうか?」

問いは「日本について日本語で語る意味はどこにあるのか?」という別の角度からの問いを同伴し、さらに「そもそも日本について日本語で考える意味はどこにあるのか」という問いも含んでいるような気がする。

土曜日に関西大学川島ゼミの参加者と一緒にこころみた、語り言葉の忠実な書き起こしの延長線上で浮かんだ着想だと思うが、だとすれば、当然、言葉の身体性も絡んでいて、厄介そうだが、面白そうでもある。

「日本について日本人が語ることは出来るのだろうか?」とか、「日本について日本人が語る意味はどこにあるのか?」とか、「そもそも日本について日本人が考える意味はどこにあるのか?」とか。

佐藤信の五行日記

小人閑居為不善 うつけもの ひまのまのまの だだあそび

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